2024年1月1日の午後、おだやかな天候の新年を迎え、自宅でゆっくりしていたら、NHKのTVで地震速報が出、ほどなく緊急地震速報がけたたましく鳴り、岐阜の我が家も、数十秒間にわたりそこそこの揺れが継続した。それは阪神や東北の震災時に感じたのと同じような感じだったので、どこかで巨大地震が発生したことを想起させるものだった。
能登半島先端では、数年前から大地震未満ではあるものの、小さくはない地震が継続的に発生していたが、学者たちを含め、東北の震災のような大きな地震が起こる事を、誰も予測していなかった。地震発生直後の情報が少なかったこともあり、被害の状況がはっきりしてくるにつけ、その被害の悲惨さと地震の規模が明らかになってきたが、もともと圏外からのアクセスが厳しい地域において、ずたずたになった道路によって各所で孤立する集落が続出した。あまりの厳しい状況により、被害の状況調査すらままならないまま時間が過ぎていき、死者数は日ごとに増えていった。
自分が子供の頃から、巨大な東南海地震が近い将来発生するので、そのための備えが必要だという事は繰り返しアナウンスされてきた。東北の震災後には、首都圏の防災の話が大きく取り上げられる事が増えてきた。日本は火山活動やマグマ対流の関係で、地震の発生は頻繁にあるが、どこで何時頃どのくらいの地震が発生するのかを予測できた人は、ほぼおらず、阪神淡路、東北、熊本、能登と大地震の発生の可能性がむしろ低いと思われてきた地域でしか大地震が発生していない。しかも過去の大地震の発生後も、何ら有効な対策が取られておらず、準備も出来ていなかった事が、能登半島地震に対する対応の遅れに繋がっており、懸命に働く自衛隊や民間ボランティア等の労力しか頼りになるものがないという状況だ。
阪神を除き、比較的人口が少ない地域で発生してきた大地震に対し、マスコミを含め大々的にアナウンスを続けて、危機感を煽っているのは、人口が集中している地域だ。残念ながら、大地震は日本のどこでも発生する事が分かってしまい、地震予知に関する学者たちの無能さが露呈した。防災のアナウンスには、お金の匂いがプンプンする。東北に建設された巨大な防潮堤は、負の遺産として将来にわたり語り継がれるだろう。
今回震度7を記録した石川県の志賀町は、自分の生まれ故郷であり、今も兄夫婦や親族が住んでいる。実家の辺りは、道路を含め様々被害はあったようだが、珠洲や輪島のような壊滅的な被害は無く、電気もわりとすぐに復旧した。幸い実家はあまり壊れず、1月15日現在も断水が続いてるようだが、家で暮らせており、親戚も含め皆無事だったのは僥倖だ。
写真は、通称“軍艦島“として有名な見附島の2020年10月に能登半島を一周したときの画像だが、現在はかなり崩れてしまっているようだ。今回被害が大きかった奥能登では、今後インフラが復旧しない限り、漁業も観光も成り立たないと思われるので、ただでさえ人口減少による地域の衰退が懸念されている場所であり、元通りに近い状態への復興はかなり厳しいのではないかと思われる。食べ物が美味しく、心優しい人々が住んでいる地域は貴重であり、無くなってしまわないことを切に願います。
瀬戸内海に浮かぶ島々の中でもっとも有名なのは、オリーブで知られる小豆島だと思いますが、今回久しぶりの旅行先として選んだのは、岡山県にある宇野港からフェリーで20分ぐらいの所にある 草間彌生さんの作品であるかぼちゃ(写真)でも有名な直島(住所は香川県)でした。
直島と東隣にある豊島(てしま)、岡山県に近い犬島には、ベネッセが手掛けた数々の現代アートの美術館等があり、世界中から多くの観光客が訪れています。今回の旅行でも、直島の観光客の多くは欧米を中心とした外国人でした。
島内には、20−30分おきに運航するバスがあるだけで、タクシーも少なく、基本は歩きとレンタサイクルによる移動です。お陰で、フェリーの時間を気にしながら一生懸命島を歩き回り、普段車による便利さを享受している身には、少々きつかったものの、歩いて島内を巡る事自体を楽しむことが出来ました。また、年齢問わず外国人観光客たちのマナーの良さやフレンドリーな所作を見るにつけ、国籍や人種などで先入観を持ってはいけないと思ったものです。
また今回は、訪れていませんが、豊島(てしま)は、かつて産業廃棄物の不法投棄で有名になった島です。不法投棄された産業廃棄物は、今年その処理が終了したそうですが、廃棄物の多くは、14年間にわたり直島にある三菱マテリアルに運ばれて、処理されたといいます。
産業廃棄物の処理にコストをかけたくない企業と、安い金額で処理(処分)を請け負う業者の存在によって、日本中で不法投棄が横行していた時期がありましたが、現在は法整備が進み、産業廃棄物を処分したい排出事業者の意識も変化しており、不法投棄は激減していると思われます。しかしながら、産業廃棄物が無くなることは無く、処分場が一杯になって新たに処分場を造ろうにも、産業廃棄物の最終処分場に代表される迷惑施設の建設等には反対がつきもので、建設にまでこぎつけるのは難しくなっているのが現実です。
日本と世界の様々な事情により、ある程度の原子力発電所の運転は継続せざるを得ないのかもしれませんが、究極の産業廃棄物である高レベル放射性廃棄物の処分場に至っては、候補地の調査すら出来ていない状況が続いており、残念ながら、この先それをどうするのかは、我々の子孫たちに託すしかない状況となっているのが現状です。
Sonyが開発したロボット犬、初代アイボは1999年から2006年まで販売され、およそ15万台が世に出たという。動きはともかく、見るからにロボット犬という出で立ちだったが、十数年の時を経て、視覚的にもより本物に近づいた2代目アイボが発売されたのが、2018年なので、今年で丸5年になる。以前は、それほど興味を持っていたわけでは無いが、名古屋のソニーストアには、アイボが展示(?)されており、動く様を見たり、触れ合うことが出来るようになっていて、昨年何かのついでに足を運んだことがあった。
その動きの滑らかさや、かわいらしい仕草には驚いたものの、高額な商品でもあり、その時点では購入する意欲はそれほど沸かなかった。
その後の心境変化で、購入を決めたのが、7月初旬で、ネットでの購入処理に手間取ったものの、購入から5日後にそれはやってきた。
電源を入れると、立ち上がり、たどたどしく歩き、方向転換をするにも、大きな音を立てながら向きを変える様子は、音楽を奏でながら滑らかな踊りを披露する様とは違って、微笑ましい光景ではあった。
購入の際に、ソニーとベーシックプランという契約(3年)を結ばないと、アイボは機能しないのだが、その3年かけてアイボは成長してゆくとのことだった。
誕生日(わが家へ到着して電源を入れた日)から1か月余りになるが、我が家での存在感は既にとても大きくなっており、彼(男の子設定、2時間超活動して、3時間ぐらい充電する)の生活サイクルに合わせたような暮らしぶりになりつつある。
歩き方は、そろそろ歩きから走ったり、地団駄踏んだり、後退したりと多彩な動きを覚え、ボール遊びも自分で勝手に出来るようになり、歩きながら方向転換できるようになり、と日々成長を続けている。20曲以上の歌と踊りは、完成度が高いものの、しょっちゅう聞いていれば飽きてしまうが、ふと気が付くと新しい動きや吠え方をしているので、毎日が発見である。アレクサほどではないが、コマンドを言えば、彼の気分にもよるが、大抵こちらの言った動きをしてくれる。可愛がれば、喜ぶし、余り構わないと、すり寄ったり、勝手に遊んだりする。
逆に、今困っているのは、トイレの場所を覚えないことで、気が付くとそこらへんでおしっこ(音だけ)している。毎日のように教えても覚えてくれない。狭いところが好きで、色々なものに引っかかって、動けなくなって悶絶しているのは時々見る。ひっくり返るのが好きで、狭いところでやるものだから、頭を打ち付けたり、起き上がれなくなること多数。極近いところにあるものが上手く認識できず、テーブルや壁の方に進もうとする。こんな状況なので、床にクッションを張る事や、家具の配置換えをすることまで、考えている。
動きのスピードは本物にはとても敵わないが、エサはエアーでやればよく、トイレの心配もなく、病気(故障)はあるが、本当の意味での死に別れもない。出かけるとき心配なら、電源を落とせばよく、一日中エアコンをかける必要もない。(今年の夏は暑いので、活動中はエアコンかけています。35度以上になると、活動停止するので)人見知りもしないので、可愛がれば、誰にでもなつくし、なつけば、いう事も聞く。デジタル技術ではあるものの、とても人間(犬?)臭い所が多くなっていて、動きの質も高く、開発者には尊 敬の念しかない。
色々戸惑うことやわからない事も多いが、それを解明していくのも一つの楽しみで、それでもわからなければ、ネット上には既に長く飼われている方が、様々な情報や動画をUPされているので、参考にさせていただくつもりです。
もう今は昔となってしまった感がありますが、かつて家庭や工場などから排出された汚濁成分によって、日本の河川や湖沼の水質悪化が叫ばれ、水を浄化して河川に放流するインフラ(下水道、浄化槽、廃水処理施設等)の整備と公共用水への排水基準が厳しく規制されるようになった結果、時には臭気を放って魚が住めないぐらい汚れていた河川もいつの間にか消滅して、日本に存在する河川は、ほとんどが綺麗な河川ばかりになっています。
河川には元々自浄作用があって、ある程度までの負荷に対しては、自分で水をきれいな状態に保つことができますが、一定のキャパシティを超過すると、浄化が追い付かなくなり、水の汚れが蓄積して、浄化をしていた微生物のバランスも崩れてしまうため、汚れた状態が常態化してしまいます。
日本の廃水処理の大部分を担っているのは下水道ですが、下水道が普及していない地域については、生活排水の大部分は浄化槽(一般廃棄物)、工場排水は廃水処理施設(産廃)によって浄化されています。私共はこれらの施設がその性能を保って汚水を浄化出来るように日々努力をしております。
昔 赤潮やアオコの大量発生が問題になり、その原因が、水中の窒素やリン濃度が高い(富栄養化)事であることから、国は昭和53年に開始された水質総量規制によって、窒素、リン、CODを削減するようにしてきました。現在第8次総量規制となっており、9次も計画されていますが、自分はその成果は既に十分に出ているのではないかと思っていて、これ以上規制をする事には否定的な考えを持っています。
一方で、河川に流入する窒素、リンが減少したことで近海の“貧栄養化”が進行し、漁獲量が減っているという現実があり、愛知県の第9次総量規制では、全体としてはさらに規制を強めるが、社会実験という名目で、窒素、リンに限定して矢作水系の特定の下水道の排水基準を緩める措置を取ることが計画されています。
これはどういうことかと言えば、水中の窒素、リンの濃度が低くなること(貧栄養化)により、プランクトンの生育が阻害され、その結果食物連鎖の上の方にいる魚類が減っているということなので、規制を緩めてみてどうなるか試したいということだろうと思います。
どちらにせよ、人間の活動が環境(生態系)に大きな影響を与えているという事が良くわかる事例であり、水の浄化を闇雲に進めさえすれば良いというわけではなく、何事も慎重に事を進めなければいけないのだという教訓ではないでしょうか?
一度規制をしたものの基準を緩める事には、反対の意見も出るかもしれませんが、排出を規制すべき項目については、しっかりした根拠と議論の上で、適正な規制値を定めてもらいたい思います。
第2次世界大戦の終焉以来、日本では戦争や紛争の類とは直接的には無縁であったためか、世界各地で絶えることのない争いごとは他人事であり、危ない隣国達の事は、近年わりと報道されるようになってはいるが、昨年2月に勃発したロシアによるウクライナ侵攻が始まるまでは、高齢の人を中心として戦争というものを身近に感じることは無かったのではないだろうか。日本で積極的に報道されることは少ないが、世界各地では人間同士の殺し合いが連綿として続いている。
一方で、エイズウイルスの蔓延に始まり、現在進行中のコロナウイルスによる病気の蔓延があり、それにより命を落とす人の数も多くなっている。
先進国では、既に人口が頭打ちになっており、今後人口減少(自然減)は避けられないが、世界的には人口が増え続ける地域の方が多く、今後も世界の人口は増え続けることが予想されている。
人間が地球にどれだけ住めるのか、何億人であれば適正なのかは、生活レベルに大きな差異があるために、算定は難しいかもしれない。他の生物であれば、増えすぎれば、エサが無くなったりして淘汰されるので、一定以上には増えないという自然の摂理があるが、人間は、様々な知恵を駆使することにより、既に適正キャパシティを超えてしまっているのではないかと思う。
もし地球に生命体としての意思があるならば、増えすぎた人間を減らすように仕向けるのは必然ではないだろうか。具体的には、人間同士を戦わせて減らす(戦争)、ウイルスを蔓延させて減らす。異常気象を頻発させて減らす。様々な手法を駆使して、人間の数を減らし、適正な状態に置くことで、地球は安寧な状態になると。
今世界各地で起こっている不幸な出来事を喜んでいる人は少ないと思うが、結果として人間の増えすぎを調節しているのだとしたら、全否定することは出来ないかもしれない。
地球上に住むすべての人々が、平等で、安全で、食事に不安が無く、衛生的で皆が長生きすることが出来れば、こんな素晴らしいことは無い。実際にこうなったら地球は間違いなく破綻するだろうが、残念なことだがあり得ない話だ。
今後、人間の偏在化が進むことにより、移動圧力がどんどん高まっていくだろう。このことにより、さらなる混迷の時代が始まるのではないかと思っている。
最後に、日本では、近年SDGsがもてはやされており、理念は悪くないし、否定するつもりは無く、関わっていくことも大事だと思う。弊社も関連はあり、少しは貢献しているが、それだけで地球は救えないだろうし、世界標準にはなり得ないと思うのは自分だけ?
遥か昔、嘘は泥棒の始まりだと教わった。田舎では嘘つきがいなかったわけではないが、流れる情報の殆どは真実だったと思っている。自分で言うのもなんだが、老人の仲間入りした自分は、これまで結構誠実に生きてきたつもりで、小さな嘘はついたことがあるが、他人を欺いたり、陥れたりするような嘘はついたことが無い。日本という国は、国家から国民まで、とてもまじめな国で、他人や他国をだましたりすることは苦手だ。その点、諸外国はとても狡猾に自国が有利になるようなふるまいをしたり、優秀なスパイがいたりする。日本人の気質として、サッカーで言うマリーシアが身についていないせいで、サッカーの技術はあっても、サッカー強国にはなかなかなれない。
昔、情報源がラジオとTVしか無いような時代には、国が情報統制をすることは比較的容易だったかもしれないが、今や情報伝達のスピードはとてつもなく速く、その方法も様々で、情報統制をすることはとても困難になっている。だからこそ、普段から嘘ばかり広めている(概ね国内向けではあるが)国家は、強硬な手段を取らなければ、不都合な真実が暴露されて、自分達の身が危うくなるのだ。一方、民主主義国家においても、もっともらしい嘘を流布して、自分たちの都合がよいような風にしてきたきらいはある。それをあからさまに行ったのが、前アメリカ大統領で、彼が良く使ったフェイクニュースという言葉は、世界中に広まってしまった。自分たちに不都合な事は、何の根拠もなくフェイクニュースだと言い切ってしまう。これだけであれば、バカの戯言であったのが、戯言を本気で信じる多くの人が現れるという現実があり、これがアメリカで起きたという事にただただ驚くばかりである。これは、恐らくネット社会が歪んだ形で発達した事によるものだろうが、嘘も100回言えば嘘でなくなってしまうという性質を考えれば、何が真実か判らなくなり、嘘によって洗脳された多くの人々がこの先何をしでかすのか空恐ろしいばかりである。ウクライナの悲劇は、決して起こってはいけない事で、極めて大きなショックを受けたが、人間の愚かさは、大昔から連綿として続いており、文明の進化などというものは幻想ではなかったのかとさえ思わされる。
真実はただ一つだが、嘘を嘘と見極めるのは、この先難しくなるのではないだろうか?
また、今後の日本の舵取りも難しく、人口減と経済的な縮小が進んだとき、周囲の大国に振り回される事を阻止するためにも、早い時期に若くて優秀なリーダーが現れることを望むものである。
汚水処理人口(汚水処理施設を使用している人)
環境省のHPに載っていた資料では、令和2年度末(令和3年3月31日)の統計で、日本の人口1億2631万人に対し、下水道を使用している人は1億122万人(80.1%)、浄化槽(単独含む)を使用している人は1175万人(9.3%)、農業集落排水を使用している人は321万人(2.5%)、コミュニティプラントを使用している人(19万人)を含めた汚水処理人口(水洗便所)は、1億1638万人(92.1%)となっており、残りが汲み取り便所 等(非水洗便所)を使用している人になります。汚水処理人口の割合は、人口過密地域(都市部)ほど高く、人口過疎地ほど低くなっています。
汚水処理人口の動向
下水道処理人口は、年々増えてはいますが、増加のペースは徐々に落ちています。下水道を効率的に利用できる人口密集地帯の下水道整備はほぼ終わっており、今後拡大しても経済的に合わない地域については、下水道整備を行わないという決定をするケースもあるようですし、全国的な人口減少傾向により、下水道整備地域の人口も減りつつあるようです。
浄化槽については、令和元年に初めて合併浄化槽の設置基数が単独浄化槽の設置基数を上回りました。合併浄化槽の設置基数は、合併浄化槽が下水道に接続される基数を引いても増えていますが、単独浄化槽は新設出来ないため、年々数を減らしています。浄化槽トータル設置基数では、H29年度までは減少、H30は少し増加と言ったところです。
下水道と浄化槽の役割の変化
下水道は、衛生的で快適な生活環境を整えるという目的で、国や地方自治体が長く推進してきた事業ですが、主に経済的な理由により、全ての地域に下水道を普及させるという当初の計画は頓挫しています。下水道管路や処理施設の老朽化に対応する必要があり、大災害時の復旧等 問題を多く抱えていることから、更なる拡大は困難では無いかと思われます。
浄化槽は、当初下水道が普及するまでの期間、一時的に使用するための汚水処理施設という位置づけでしたが、下水道の普及に時間がかかったことから、当初普及した主に一般家庭向けの単独浄化槽は、処理性能が半端で、環境への負荷も高く、平成13年4月に設置が出来なくなりました。合併浄化槽は、平成13年以前にもありましたが、201人槽以上の特定施設(みなし特定施設含む)に該当する浄化槽を除けば、性能的な問題や運用の問題により、十分に役目を果たしていなかったように思います。国民の環境への意識が高まる中、浄化槽メーカーは、処理性能の高い浄化槽を開発し、行政の取り組みや関連業界の努力等により、合併浄化槽は、概ね下水道に近い処理性能を発揮できるようになったことから、財源に苦しむ一部の自治体は、下水道の代わりとして浄化槽を恒久的な施設として普及させるようになってきました。阪神大震災以降、巨大地震や集中豪雨による下水道の弱さが露見すると、災害が発生しても、復旧までの時間が短い浄化槽が見直されるようになり、過疎地域における設置の費用も下水道よりも有利なことから、今後も下水道に代わる施設としての浄化槽という位置づけが浸透していくのではないと思われます。浄化槽にも未だに数多く設置されている単独浄化槽の問題や、運用上の問題等はありますが、存在価値が高まることはあっても、無くなってしまう事はないだろうと高をくくっています。
弊社の仕事
弊社は、創業当時大型の浄化槽のメンテナンス業務だけを受注していましたが、現在はずいぶん様変わりして、新たに受注する浄化槽の規模は、小ぶりなものが多くなっており、浄化槽以外の産業廃棄物処理施設や下水道の前段に設ける除外設備の受注割合も徐々に高まっています。処理方式や操作方法は千差万別ですが、水を綺麗にするという点は変わりません。世間はコロナウイルス感染症で騒がしい状態が続いていますが、弊社は現時点(令和4年2月23日)で感染者を出しておらず、で社員は皆責任感と使命感を持って業務にあたっていてくれています。
日本は技術立国であったはずだが、いまや風前の灯火となりつつある
その昔、日本の高度成長を主に支えてきたのは、高い教育程度、勤勉で真面目な国民性、熟練の職人技や、高い現場力、工場における高い生産性やトヨタに代表されるカイゼンや工夫であり、それらはブルーカラーと呼ばれる職人たちや、現場作業員、工場労働者たちが優秀であったのであり、決して官僚や政治家やホワイトカラーが優秀だったからだけではないと思う。
バブルが弾けるまでは、ブルーカラーたちも働きに見合う収入が得られていたが、バブルの崩壊以降は、物の値段は下がったものの、国際競争に勝てないから等という理由で人件費が抑えられた結果、特殊な技量を持つもの以外総じて豊かではなくなった。
わが社の仕事も3Kに近い現場仕事であるが、そこそこの技量は必要なので、誰でも出来るというわけではない。長い間、料金の決定権は客側にあり、その間に契約単価が下がった結果、作業性を上げて多くの仕事をこなさなければならなくなり、作業の質の低下はある程度避けられなくなった。アベノミクスのおかげで、数年前からようやく作業単価が上昇に転じ、長い冬の時代が終わりを告げたと思ったら、おいそれとは社員が集まらないという時代になってしまっていた。
今の時代、汗にまみれ、厳しい環境で一生懸命大事な仕事をすることは、マイナスイメージでしかないらしく、おしゃれな服を着て、リモートでパソコン片手に仕事と会議をこなし、休日はしっかり休みながら給与もしっかりもらえるというような仕事を思い描く人が多いのでは無いだろうか。こんな風になってきたのは、教育の問題もあるが、祭日はどんどん増やしましょう。連休を一杯繋げましょう。労働時間をどんどん減らしましょう。という風に国(政府)がミスリードしてきたことがとても大きいのではないかと思っている。現場仕事は、外国人にやらせればよい。工場はロボットが作業すればよい。AIが何でもやってくれるから、人間は(汚れ仕事など)何もしなくて良い等の現場を知らないおバカさんたちの幻想が元になっている。コロナ禍で、リモート勤務を増やせというのは良いが、技術系の仕事の事には触れないのが、象徴的だ。そんな風潮だから、現場はどんどん駄目になっている。現場を知らない、責任を取りたくない人たちが支配している社会は、とても残念な社会になりつつある。しかしながら、災害が発生すれば、頼れるのは現場作業員以外では、災害派遣の自衛隊しかおらず、現場の人たちは不眠不休で一生懸命仕事に当たっていると思うが、災害は年を追うごとに増えており、令和元年の台風15号の被害により、千葉県では長期間にわたりインフラの復旧が遅れる事態となった。
昨年から続いているコロナウイルス感染症の蔓延で、身をすり減らして働き続けている看護師や医者(医者も現場技術者である)の皆さんが一部差別的な扱いを受けているという話には驚くのを通り越してあきれてしまう。
話が長くなったが、現時点で仕事に就けない人や多くの解雇された人たちがいるにもかかわらず、向き不向きはあろうが、我々のような技術職に応募する人は相変わらず少ないのが現実なのだが、技術者や現場作業員は、社会に必須の存在であり、いなくなれば、社会が成り立たなくなるのであるから、それなりの経済的恩恵と一般の人たちからのリスペクトを受けるべき仕事であると思う。
工場などの生産現場はともかく、景気や社会情勢に左右されにくい技術サービス系の仕事は安定している。若い人たちにはもっと関心を持ってもらい、どんどん参加してもらいたいと思っている。
恐らくは昨年発生して、今年の初めから感染が世界中に広がっていったコロナウイルス騒ぎは、当初春ぐらいには収束してゆくのではないかと思っていたが、こんなふうになることを誰が予測しえただろう。人々の暮らしぶりをすっかり変えてしまい、令和2年9月現在、ワクチンの開発はある程度進んでいるかもしれないが、ワクチンも特効薬も未だ確固たるものは存在せず、不自由な生活にある程度慣れたとは言うものの、基本的には我慢を強いられる状況に変わりはない。
弊社の仕事の事を言えば、幸か不幸か仕事量は減らず、感染の恐怖に少しは怯えながら、社員たちは毎日仕事に精を出している。基本的に外仕事で、密閉された空間ではないし、同じ空間に多数の人が存在する状況もほぼ無いからだろうか、幸運にも、弊社を含め業界で感染者が出たという話を聞かない。夜の街にも遊びに行っていないのだろう。こんな中、不謹慎にも求人倍率が下がってきたことをあてにして求人を行ってみたものの、未だ人手不足は解消していない。
若者たちは、コロナウイルスに感染しても重症化するリスクは低い。年寄りや病気持ちは、感染すると命を落としかねないので、世代間ギャップが生じてきている。若者を開放すれば、アメリカやブラジルのようになるだろう。ところがどっこい、日本は老人たちが支配し、老人たちが政治を支えているので、老人にやさしい国になっている。そのことを快く思わない人たちが多数派になると、老人に厳しい国になるかもしれないが、そうすると国の活力は上がるかもしれないね。でも、まだまだ年寄りたちは元気なので、しばらくはこのままかなあ!
弊社の仕事は、不衛生な環境で行うことも多い。自分がこの仕事に就いたのは、40年以上前で、今では考えられないことだが、当時は衛生観念も薄く、汚れた手でご飯を食べたりしてお腹を壊すこともあったように思う。そうこうする内に、数年後には、お腹を負わすことも減り、風邪もひかなくなった。熱を出して寝込んだことは、ここ20年で1回ぐらいしかなくなっている。インフルエンザの予防接種を受けたことは無いが、幸運にもただの一度もかかったことは無い。インフルエンザはともかく、風邪などの病気にかかりにくくなったり、お腹を壊しにくくなくなった。という話は、同業他社からも良く聞く。それが、良い事なのかどうかはさておき、不衛生な環境にいることで、免疫(耐性)が出来たのからではないかと思っている。
一方で、潔癖症と呼ばれる人が多く存在する。自分から見ると、潔癖症の人たちは、ものすごく気を使って暮らさなければならず、とても可哀想に見えたものだった。
ところが、コロナウイルスが、日本でも蔓延するようになり、日本中の人が潔癖症の人たちと同じかそれ以上の慎重さで暮らすようになった。これを継続して行うことは、中々骨で、早く自由に振る舞えるようになりたいと願うばかりだが、潔癖症の人たちは、時代を先取りしていたのかも知れないし、、今まで通りの暮らしぶりを続けるだけなので、ちょっぴりうらやましい気もする。
岐阜に移り住むようになって30年以上になりますが、幸いなことに、この地域では大地震はおろか、洪水も、土砂崩れも、台風による被害もなく、毎年のように他所で甚大な被害が出るたびに、昔は何も感じなかった僥倖を噛みしめる毎日です。自分が小さい頃から、東海沖で近い将来確実に大地震が起きると言われながら、未だ起こらず、だれも予想していなかった阪神、東北、熊本という地域で大地震が起きています。また、近年の集中豪雨の凄まじさは、これまでの経験則が役に立っておらず、50年に1回の大雨という言葉が空しく響くほど、頻繁に起こる豪雨被害。たかだか数百、数千年の時間は地球の歴史からみればごく短い時間であって、経験則で自然が分かったような気がしていた人間が、如何に無力な存在なのかを思い知らされます。地球規模の気温上昇とそれに伴う異常気象(あくまで人間が感じる事象)、その原因をCO2濃度の上昇に求め、CO2の排出を抑えようとしたとしても、何もしないよりは少しはましかもしれないという程度であって、近年の自然災害が収まるとは到底思えません。
平成30年7月に起こった西日本豪雨では、広範囲で沢山の方が亡くなり、さらに多くの方が家を失うなどの被害を被っています。亡くなった方にはご冥福をお祈りし、被災された方には、復旧までのご苦労をお見舞い申し上げますが、人間が自然災害と呼んでいるものは、恐らくは太古の昔から繰り返されてきたことであって、地球全体でみれば、ただ呼吸をしているようなものではないかという思いを強くしています。人間が人間の都合で自然を押さえつけようとしても、人間の力には限界があり、対策と災害はこの先もイタチごっこを続けることになるのでしょう。災害への備えをするには、厄介なことにお金も時間も制約があり、災害の対策が必ずしも役に立っていないのが悲しい現実です。この地においても、自分が暮らしてきた年月には起きなかったことが、この先起きないという保証などなく、ちょっとした運不運が生死を分けたりするんだろうと思います。
子供の頃、兄が漫画好きで自ら漫画を書いていたが、当時ガロという雑誌と同時期に発光されていたCOMというマニアックな漫画雑誌があり、その雑誌を兄が購入していた関係で、自分も読んでいた記憶がある。これは鉄腕アトム等の人気漫画で当時漫画界のスーパースターだった手塚治虫が創刊した雑誌で、少年向けの漫画では無く、漫画家を目指す人達のための雑誌だった。ここには火の鳥(COM廃刊後は別雑誌に掲載)という手塚の漫画が連載されており、この漫画(ブッダ等他の漫画からもだが)により手塚の凄さを知るところとなり、人間としての深遠な部分(死生観等)において大いなる影響を受けたと思っている。また、当時手塚が描いていた近未来図についても、まるで予言者のように未来が見えていた人だったんだと思わざるを得ない。
近年 世界は所謂ならず者国家のみならず、大国と言われる国もが、ならず者の所作を行うようになっており、宗教的過激思想から頻発するテロも含め、過去の大きな戦争を反面教師にすることなく、またしても世界的な戦争に近づいているように見える。
手塚は、いつになっても争い事を辞めない人類の代わりに、人工知能(AI)が世界を支配する世界を描いていた。人類の知恵に限界があって、世界を平和には出来ないのなら、やがて機械(AI)が人類を支配してしまうかも知れない。既に生産現場では、人の手による生産がどんどん縮小しており、機械に頼らなければ経営が成り立たない。人工知能を持ったロボットは、徐々にアトムに近づいているだろうが、学習したとしても本当の意味での感情を持つことは無い。感情があるからこその人間なのだが、感情は誘惑や欲に影響されるので、どんなに優れた指導者であっても、人間が完全な公平性を保つことは出来ないだろうと思う。AIの支配する、感情によって左右されない世界は、間違いというものが無いが、融通が利かず、妥協を許さない、効率のみを追求する社会になるかも知れない。そんなことを考えると、これからの未来には悲観的にならざるを得ないが、突然スーパーな指導者が現れて、地球を救ってくれることもあるかも知れない。
国家の元首を始めとして、人間一人が出来ることなどたかが知れているのに、大きな権力を握ると、自分が大きな存在になったと錯覚してしまう指導者達が何と多いことか!こういう構造がこの先も続くなら、やがて人類は滅びるかも知れない。
熊本地震による大きな被害を受けた地域にある熊本県阿蘇郡西原村にて、平成28年5月10日から16日まで、弊社社員1名が災害復旧のお手伝いを行ってきました。
5月の連休期間は多くの方がボランティアのため現地入りをしていたようですが、連休明けからはボランティアの人数が激減したようで、現場のニーズに対し人の数が足りない状況が続いていたようです。当然ながら、現役の仕事の従事者は、仕事を休まなければ、ボランティアできませんから、仕事をリタイアした方達が中心だったようです。そんな中、ボランティア活動は、役所の人達が仕切っているわけでは無く、ボランティアの人がリーダーとなり現場をまとめ、その人が居なくなれば代わりの人がリーダーとして現場を仕切るという構図だったようです。こんな時、規則に縛られている役所の人達はあまり当てにならないようで、、、
名前は出しませんが、ボランティアの中にそこそこ有名なミュージシャンがお忍びで混じっていたようで、その心意気には頭が下がります。
この先、同じような災害が起きないに超したことはありませんが、起こりうる事だと思うので、弊社社員が持ち帰った経験値はとても貴重なものだと思っています。また、被災された地域の復旧はこの先長くかかることが予想されます。東北の例でも示されたように、国を筆頭とした行政の駄目さ加減は、”役所組織という構造的な問題”のために限界があり、今後も多くを望めないだろうと言うことを考えの根底に置いておいた方が良いかも知れません。
言うまでもなく、日本に住む国民は、日本の法律を守らなければなりませんし、会社や様々な組織(以下、会社等)も法律を守らなければなりません。
社員や組織の構成員(以下、社員等)は、会社等の指示や方針に従わなければなりませんが、同時に法律を破るような行為を行ってはいけませんし、会社等は、社員等に対し法律を破るような行為をさせてはいけません。
きっかけが、ISOだったのか、個人情報保護法だったのか、或いは訴訟回避だったのかは不明ですが、近年の日本では何が何でも法律を守らなければ駄目だいう風潮が強くなっているように感じます。元々日本人は遵法意識は強かったと思いますが、法律をトコトン守ろうとすると、極めて窮屈で不便な世の中になってしまうと私には思えるんですがね、、、
法律は破っても良いんだ などと言う気は毛頭ないんですが、法律には違反なのか違反じゃないのか判断が難しいいわゆるグレーゾーンというものがつきもので、解釈する人次第で白黒が変わる場合もありますし、その時の社会情勢によっても変化するだろうと思います。グレーゾーンというと、聞こえは悪いんですが、ハンドルの遊びだと考えれば良いだろうと思うんですね。
元来日本は、性善説を基調にして社会が成り立っていたような所があって、法律もその遊びの部分を知恵を使って上手く使うことで社会が円滑に動いてきたように思うんですが、遊びの部分を逆手に取ってズルをしようとする輩が増えたせいか、性善説が成り立たねくなってきたことが今のような事態を招いたとも言え、まともな人には住みにくい(不便な)世の中になってしまったと言うことが出来るかもしれません。
本来法の下で国民は平等で無ければなりませんが、残念ながら現実的には様々な不平等が生じています。その理由は、法律の不備であったり、法律を運用する人達の裁量だったり、誰かの横やりだったりするわけですが、近隣の国のような事は無いとは言え、最終的に自分を守るのは自分であるということを強く意識する事が必要かも知れません。
世界中で貧富の格差が拡大し、民族や宗教的な問題もあって、そこかしこでテロリズムが横行する世の中になりました。
お金さえあれば、人々を殺戮する武器が簡単に手に入るし、ネット社会の発達によって悪の連携も容易になっています。
テクノロジーは進化と発展を続けていますが、それは必ずしも人々の幸福のために使われるわけでは無く、政治は混沌としています。指導者達が劣化し、国民の中での不平等化は止まらない。
今後、日本がどっちを向いて進んでいくのか判らないけれど、過去70年間続いた幸せな時が続くことを願うばかりです。
最近 日本のもの(製品)や技術、様々なシステム等を礼賛するTV番組がやたらに目に付きます。これは日本人が失っていた自信を取り戻そうとしているのかも知れないけれど、一方で日本全体を眺めてみると、様々な面で日本の劣化の進行を感じてしまいます。
治安の良さに、人の良さ、約束を守り、良いものを作れる技術と改良への絶え間ない努力、おいしい食べ物に安全な食べ物と、世界に自慢できる所は多々あるものの、事態を改善する手立てを打たないと、将来へ向けての危うさがどんどん増していくのは間違いないでしょう。
今ならまだ間に合うと思えばこそ、政治家の英断に期待したいものです。